足利義政
何事も夢まぼろしと思い知る身には憂いも喜びもなし
死を前にして、全てのことが夢であり幻だったと思い知った今は、憂いもなければ、喜びもない。
概要
足利義政(1436 ~ 1490)は、室町幕府の第8代将軍で、特に東山文化の庇護者として知られています。
義政は、子供の頃から僧侶になるために育てられていたものの、父の暗殺や、後継となった兄の急死などによって、まだ8歳にもかかわらず、急な役回りとして将軍となりました。まだ幼かったことから、しばらくは管領と呼ばれる大人が補佐し、14歳で元服した義政は、正式に将軍に就任します。
しかし、政治にはあまり関心がなく、政治的能力は低かったと言われており、政治よりも、むしろ茶の湯などの文化活動に没頭。やがて、政治の後継を巡る対立が起こり、応仁の乱が勃発、戦乱は全国へ波及します。最終的に義政は、息子の義尚に将軍職を譲ったのですが、引退後も実権を握り続けました。
一方で、晩年の義政は、京都の東山の地に山荘を築き、閑雅な文化生活を送ります。また、義政は病で亡くなって完成を見ることはなかったものの、死後、造営中だった銀閣寺ができます。この銀閣寺は、金閣寺とは対照的に、質素な美を備えた建築で、侘び寂びの美意識に影響を与えるなど、義政によって東山文化が花開いたと言われています。
巡り合わせのなかで将軍になってはしまったものの、本来、政治や武力ではなく、芸術や文化において、その能力が発揮される人物だったようです。
そんな足利義政の辞世の句として知られる和歌に、「何事も夢まぼろしと思い知る身には憂いも喜びもなし」という歌があります。現代語訳すれば、「死を前にして、全てのことが夢であり幻だったと思い知った今は、憂いもなければ、喜びもない。」といった意味になります。悲惨な戦乱だった応仁の乱を経て、静謐な東山文化に向かった義政の最後にふさわしい辞世の句なのかもしれません。