山東京伝
耳をそこね足もくぢけて諸共に世に古机汝も老いたり
耳が損なって聞こえなくなり、足も挫いて立てなくなり、お前も私と一緒にすっかり老いたものだなぁ。
概要
山東京伝(1761 ~ 1816)は、江戸時代後期の戯作者であり、浮世絵師としても活躍した人物です。
浮世絵師としては、北尾政演という名前で活動し、版元の蔦屋重三郎のもとで浮世絵を手がけ、絵入りの娯楽小説である黄表紙の挿絵を担当します。その後、山東京伝というペンネームで、戯作の執筆に力を入れるようになります。
蔦屋重三郎とのタッグによって、黄表紙や洒落本、浮世絵など、数多くの作品を残し、なかでも、洒落本『通言総籬』は、遊女の口癖や細密な描写で吉原の風俗を描いた、洒落本の傑作と称されています。
しかし、二人は、当時の江戸幕府に目をつけられ、松平定信の寛政の改革による風紀取り締まりの対象となり、処罰されます。この処罰を受けた後も、山東京伝は創作自体は続けながら、一方で自身がデザインする煙草入れのお店も開き、大繁盛します。
吉原で遊ぶお金などは派手に使うも、自身は質素な生活を送ったと言います。晩年は、近世初期の人物や風俗などの考証研究に没頭し、その成果をまとめた本を残したのち、56歳で亡くなります。
山東京伝の辞世の句として知られる和歌には、「耳をそこね足もくぢけて諸共に世に古机汝も老いたり」という歌が挙げられます。
現代語訳すれば、「耳が損なって聞こえなくなり、足も挫いて立てなくなり、お前も私と一緒にすっかり老いたものだなぁ。」といった意味で、長年使ってきた愛用の机と、老いた自分自身を重ねています。
死を意識している頃に詠んだものではなかったとも言われていますが、死後、この古机の供養にあたって、弟が浅草神社の“机塚”に彫ったことから、この歌は、山東京伝の辞世として知られています。