良寛

うらを見せおもてを見せて散るもみじ

裏を見せ、表を見せて散っていくもみじのように、喜びも悲しみも、良さも悪さも見せながら人は大地に帰ってゆくのだ。

概要

良寛(1758 ~ 1831)は、江戸時代後期の禅僧であり、詩人や書家としても知られています。

越後国の名家に生まれ、後継として学んでいた折に、突如18歳で出家します。出家の理由は、争いも絶えず、救いのない世を悲観したからとも言われています。円通寺という曹洞宗の禅寺で、厳しい修行を積み、一人前の僧になると、34歳の頃、各地を旅して巡ります。どこかのお寺に入るということもなく放浪の旅を続けたようです。

和歌や書を学びながら、48歳の頃に山の中腹にある五合庵という隠居用の庵で暮らし、その後も幾度か住まいを変えながら、静かな日々を送ります。

良寛は、大人になっても子供心を忘れずに、子どもたちと遊ぶことを好み、かくれんぼや手毬などをして遊んだと言います。

ある日、かくれんぼをしていたときに、良寛が上手に隠れ、日が暮れて暗くなり、子どもたちは良寛を探し出せないまま家に帰ってしまい、翌朝、農夫が、隠れている良寛を見つけ、「どうされたんですか」と問うと、「しい。そんな大声を出したら、子どもたちに見つかってしまいます」と言った、という逸話も残っています。

最期は、親しい人たちに見守れながら、74歳で亡くなります。

良寛の辞世の句として伝わっているものにはいくつかあり、その一つが、「うらを見せおもてを見せて散るもみじ」です。この句自体は、良寛作ではなく、良寛の記憶にあった別の人の句がもとになっていたようです。

紅葉が、裏も表も見せながら散っていくように、人間も、喜びも悲しみも、良さも悪さも見せながら、元の世界に帰ってゆくのだ、というような意味として解釈されます。人の一生というのは、そんなに表ばかり、綺麗な面ばかりではないという、人間や人生の奥深さ、自然体を受け入れる様が伝わってくる辞世の句です。

その他にも、良寛の辞世の句として紹介されるものには、「散る桜 残る桜も 散る桜」や、「形見とて何残すらむ春は花夏ほととぎす秋はもみぢ葉」という和歌があります。

散る桜 残る桜も 散る桜

散っていく桜も、残る桜も、みな結局は散るのだ。

形見とて何残すらむ春は花夏ほととぎす秋はもみぢ葉

形見として何を残そうか、いや、残すものなどない。それでも春には花が咲き、夏にはほととぎすが鳴き、秋は紅葉が色づくのだ。

前者の句は、良寛が詠んだものかは分かっていません。後者は、夏ほとときずではなく山ほととぎす、という形も伝わっていますが、いずれも、自然のなかで静かに暮らし、命の儚さや自然の美しさを謳った辞世の句と言えるでしょう。