太宰治

池水いけみずは濁りににごり藤なみの影もうつらず雨ふりしきる

池の水は濁りに濁って、美しい藤の花の影も見えることなく、雨は降りしきることよ。 

作者は歌人の伊藤左千夫

概要

太宰治(1909-1948)は、『人間失格』や『走れメロス』などの作品で広く知られる日本の小説家です。この太宰治という名前はペンネームで、本名は津島修治と言います。

青森県の裕福な大地主の家に生まれ、小学校を主席で卒業した太宰。友人と作った同人誌に、16歳頃から小説やエッセイなどを書き始めるようになります。その後、東大の仏文科に進学したものの、学業にはあまり身が入らず、執筆活動に専念します。

遺書のつもりで書いたという『晩年』を27歳の頃に発表。芥川賞の選考前に、選考委員の川端康成に送った懇願の手紙は有名です。

──何卒私に(芥川賞を)与えて下さい。一点の駈け引きございませぬ。深き敬意と秘めに秘めたる血族感とが、右の懇願の言葉を発っせしむる様でございます。(中略)私に希望を与えて下さい。私に名誉を与えて下さい。(中略)「晩年」一冊のみは恥かしからぬものと存じます。早く、早く、私を見殺しにしないで下さい。きっとよい仕事できます。

太宰治の作品は、自己嫌悪や孤独を強く反映したものが多く、私小説的な要素が特徴です。特に『人間失格』では、社会に適応できない主人公の苦悩を描き、多くの読者の共感を集めました。一方で、『走れメロス』のように友情や正義をテーマにした作品もあり、幅広い作風を持っています。

太宰は、生涯を通じて精神的に不安定で、何度も自殺未遂を繰り返しました。最期は1948年6月19日、愛人の山崎富栄とともに玉川上水で入水し、39歳で亡くなります。生前、太宰治は、「俺は40歳以上どうしても生きていられないんだ。何度トランプ占いをしてもそうなんだ」と語っていたそうです。

太宰が自殺する際には、妻に宛てた遺書だけでなく、友人の伊馬春部に宛てた色紙もあり、辞世の句として、「池水は濁りににごり藤なみの影もうつらず雨ふりしきる」という歌があったと言います。この歌の作者は、太宰自身ではなく、歌人の伊藤左千夫が1901年に詠んだ短歌の引用になります。

池の水が濁り、藤の花の影が見えず、ただ雨が降りしきる。これは入水するにあたってのものなのか、それとも、もう小説が書けなくなった、美しい藤の花の影が映らない、といった意味合いゆえに重ねたのでしょうか。

いずれにせよ、自殺にあたって選んだ短歌としては、余韻ある、とても寂しく美しい歌です。