十返舎一九
この世をばどりゃお暇に線香の煙とともに灰さようなら
この世を、そろそろお暇しましょうね。線香の煙の灰ではないが、煙とともに、はい、さようなら。
概要
十返舎一九(1765 〜 1831)は、江戸時代に大人気となった『東海道中膝栗毛』の作者として知られる、滑稽本の代表的な作家です。
滑稽本とは、日常をおかしく滑稽に描いた江戸時代の小説で、『東海道中膝栗毛』の主人公は、弥次郎兵衛と喜多八という二人が、江戸から伊勢を目指して旅をし、その道中での笑える様子が書かれています。
十返舎一九の生まれは、駿河国と言われていますが、出生に関しては不明なことも多いようです。また、この印象的な名前はペンネームであり、本名は重田貞一と言います。
色々な経験を積みながらも決まった道を進んでいなかった一九にとって、転機となるのが、30歳の頃に起こった、版元の蔦谷重三郎との出会いです。喜多川歌麿や東洲斎写楽などの浮世絵師を生み出したことでも知られる蔦谷重三郎。その重三郎に、文章や絵が上手だったことから気に入られた一九は、彼のもとで手伝うようになります。
その後、裏方での下積み作業をしながら、創作も行っていた一九は、1802年に、『東海道中膝栗毛』の刊行を開始。弥次郎兵衛と喜多八の珍道中を描いたこの作品は、庶民の間で爆発的な人気を博します。
十返舎一九は、執筆料のみで生活ができた職業作家の始まりだったようです。しかし、決して余裕があったわけではなく、仕事に追われ、晩年は体調を崩し、67歳で病によって亡くなります。
それでも、最期までユーモアを忘れなかった十返舎一九は、辞世の句も、なかなかぶっ飛んだ面白い和歌を残しています。それが、「この世をばどりゃお暇に線香の煙とともに灰さようなら」です。
現代語訳すれば、「この世を、そろそろお暇しましょうね。線香の煙の灰ではないが、煙とともに、はい、さようなら。」といった意味合いで、線香の煙の灰と自らの遺灰、そして「はい」という言葉が掛かり、格好良く洒落た辞世の句と言えるでしょう。