歌川広重
東路へ筆を残して旅のそら西のみ国の名どころを見む
江戸(この世)に、絵筆を残して旅立つこととなった。これからは、西方浄土(極楽)の名所を見よう。
概要
歌川広重(1797 〜 1858)は、江戸時代後期の浮世絵師で、特に風景画が広く知られています。また、日本国内だけでなく、19世紀後半のヨーロッパの印象派の画家たちにも大きな影響を与えました。
広重は、江戸に生まれ、若くして両親を亡くし、火消し役人として家業を継ぎますが、幼い頃から絵が好きだったこともあり、やがて絵師を志すようになります。浮世絵師の歌川豊広のもとで学び、初期には美人画や役者絵を描いていたものの、次第に風景画に専念します。
叙情的で静かな美しさが魅力の名所絵が、当時の旅ブームもあり、人気となります。代表作には、『東海道五十三次』や『名所江戸百景』、『近江八景』などがあり、特に、雨や雪などの天候の描写が巧みで、旅の情感を豊かに伝えています。
江戸の名所を描いた『名所江戸百景』のなかでも、躍動感のある構図と雨の描写が繊細な「大はしあたけの夕立」は、ゴッホが模写したことでも知られています。この『名所江戸百景』は、広重の最晩年の作品であり、制作中に病によって62歳で亡くなります。
歌川広重は、辞世の句として、「東路へ筆を残して旅のそら西のみ国の名どころを見む」という歌を残しています。日本各地の名所を描き、そして、死後は、西方浄土の名所を見たいものだ、という風景版画を描き続けてきた広重らしい最期の言葉です。
また、広重の辞世の句としては、他にも、「我死なば焼くな埋めるな野にすてて飢えたる犬の腹をこやせよ」という大胆な歌もあります。私が死んだら、焼くな、埋めるな、その辺の野にでも捨てて、飢えた犬の腹でも満たしてやってくれと、先の歌とはまた違った意味で死を受け入れた境地と言えるかもしれません。