斎藤茂吉
いつしかも日がしづみゆきうつせみのわれもおのづからきはまるらしも
いつのまにか日が沈んでいくように、この世を生きる私の人生も、おのずから終わりに近づいているようだ。
概要
斎藤茂吉(1882 – 1953)は、大正・昭和期の代表的な歌人であり、また精神科医でもあった、日本の近代短歌における代表的な歌人の一人です。茂吉は、山形県に生まれ、10代の頃に、同郷でもあり、東京にて開業していた後継がいない精神科医の斎藤紀一のもとに養子になりました。
学生時代に正岡子規の作品に感銘を受け、その後、子規の門下である伊藤左千夫に師事。写生主義と万葉風の作風でアララギ派の歌人として活躍します。医師をしながら、短歌だけでなく、評論や随筆も含め、数多くの作品を残し、生涯に渡って約18000首を詠みました。
斎藤茂吉の代表的な歌集としては、歌壇で一躍注目を浴びた処女歌集の『赤光』が挙げられます。この歌集には、母の危篤の知らせを聞き、故郷に急いだときのことを詠んだ「死にたまふ母」という連作が収録されています。
みちのくの母のいのちを一目見む一目見むとぞいそぐなりけれ
東北にいる母の命があるうちに、一目でいい、一目でいいから会いたいという思いで急いでいる。
死に近き母に添寝のしんしんと遠田のかはづ天にきこゆる
死が迫っている母に添い寝していると、遠くの水田で鳴いている蛙の声が天に登っていくようだ。
また、斎藤茂吉の辞世の句と見なされる短歌には、「いつしかも日がしづみゆきうつせみのわれもおのづからきはまるらしも」という歌があります。
本人が辞世の句として詠んだものではありませんが、死を間近にしてのものとして、辞世の句と言われる場合のある短歌で、現代語訳すると、「いつのまにか日が沈んでいくように、この世を生きる私の人生も、おのずから終わりに近づいているようだ。」といった意味になります。
歌のなかにある、「うつせみ」というのは、「この世」などを意味し、「きわまる」は、この場合、「終わりとなる、果てる」といったことを指します。死が訪れることを、日が沈んでいく様にたとえ、それを、おのずから極まると表現している点に、自然への観察眼も見えます。